제목   |  [1/17] 「愛されたくて頑張り過ぎてしまう人」が見落としがちなこととは? 本当に大切な3つのポイント 작성일   |  2023-01-09 조회수   |  14225

 

 

 

 

 

 

「愛されたくて頑張り過ぎてしまう人」が

見落としがちなこととは?

本当に大切な3つのポイント

 

 

 

 

「意中の相手を振り向かせたい」「人に好かれたいから尽くしてしまう」など、片思いの相手やパートナーに愛されたくて頑張り過ぎてしまう人がいます。そんな人が、つい見落としてしまう3つのポイントとは?

 

 

 

 

 

片思いの相手、もしくはパートナーに愛されたくて頑張り過ぎてしまう人がいます。そういう人は、大事なことを見落としているのかもしれません。

 

 

「相手の気持ちを変えよう」としていない?

 

愛されたくて頑張り過ぎてしまう人は、相手の気持ちを変えようとしがちです。しかし、人の気持ちを変えることはできません。変えられるのは「自分」だけです。

自分が(魅力的に)変わると、相手との関係性が変わることはあります。だから、まずは「自分が変わること」を目指したほうがいいのです。

直接「相手の気持ちを変えよう」とするよりも、「もっと自分の魅力を上げよう」と思ったほうが、自分に対しても愛情があるし、結果的に相手のハートをつかめる可能性も高まります。

ただし、「自分の魅力を上げる」ことに関して、勘違いしている人は少なくありません。多くの“愛されようとする人”は、相手に気に入ってもらえるように、「プレゼントをする」「料理を作ったり、ごちそうしたりする」など、尽くすことばかりしがちです。

そのようなことをされた相手は、あなたを「便利な人」だとは思っても、本当の意味で愛情を抱くことは少ないでしょう。百歩譲って、仮にあなたを好きになったとしても、「自分にとって都合がいいから好き」という“自己愛の延長”のような気持ちを抱くことが多いのです。

本当に「人を愛する」ということは、人柄も含め、相手を尊敬することから始まります。また、そういう愛情は長続きしやすいものです。どうせ愛されるのを目指すのであれば、自分の“人間的な魅力”を高めた結果、相手に好きになってもらおうとする方がいいでしょう。

 

 

 

“理想の人”を演じてしまうのは、自分のことを愛せていない証拠

 

愛されたくて頑張り過ぎてしまう人は、“相手が理想とする恋愛相手”を演じようとしがちです。しかし、その“演じた人物”は、あなた自身ではありません。

だから、たとえ恋愛が成就したとしても、本当の自分を愛されている気がしなくて虚しさを感じることもあります。あるいは、ずっと“演じ続ける”ことができず、次第にボロが出てきて、関係が壊れてしまうことも少なくありません。

なによりも、“自分ではない人物”を演じて相手に愛されようとするのは、自分自身に愛情がない状態です。まずは、自分自身を愛せるようにならないといけません。自分をきちんと愛せない人は、人のことを愛せるほどの余裕を持てないからです。

究極的なことを言うと、自分をとことん好きになり、「こんなに魅力のある自分を相手が好きにならないのであれば、それは相手に見る目がないのだ」と思えるくらい、自分を磨き、もっと愛せるようになったほうがいいです。

それくらいの気持ちでいたほうが、自分のことを大切にしてくれるような相手と出会って、すてきな恋愛がしやすくなるでしょう。

 

 

 

 

愛されたくて頑張りすぎてしまう人は、本当に相手を愛している?

 

そもそも、愛されたくて頑張り過ぎてしまう人は、本当に相手を愛していると言えるのでしょうか? 実は、そうとも言えません。

「相手に愛されたい」というのは、「相手の気持ちを変えたい」ということ。極端に言えば、「相手を、自分の望むようにコントロールしたい」というのと同じことなのです。そこに“本当の愛”はあるのでしょうか?

相手に対して愛があるのであれば、「相手の思いを尊重しよう」と思うものです。それは、相手が自分のことを好きにならないのであれば、「仕方ない」と受け入れることでもあります。

もし「何が何でも、相手に愛されなくてはいけない」と思う場合は、相手を愛しているのではなく、“自分の中にある不足しているもの”を埋めてくれる存在が彼(彼女)だから、求めてしまっているのかもしれません。

例えば、「自分には、何も誇れるものがない」と感じている人は、ステータスのある相手を求めてしまったり、自分の外見にコンプレックスがある人は、容姿端麗の人に惹かれがちだったり。

それは、「相手を愛している」のではなく、「自分のために相手を欲している(=相手の存在で自分の欠けている部分を補おうとしている)」だけなのです。

さらに言うと、「異性として好みだ」というのも、愛情とは違います。それは「このカバンは好みだから欲しい」というのと似たような“所有欲”を、愛情だと勘違いしている状態なのです。

もし相手への気持ちが“本当の愛情”であれば、それは「相手を変えるだけの力」にもなり得ます。“本当の愛情”とは、それほど相手に安らぎや幸せ感を与えるのです。

しかし、“自分のために”相手を求めている場合は、「自己愛」に過ぎないので、相手の心を動かすのは難しいでしょう。相手に愛されたければ、まずは本当に相手を愛せるようになったほうがいいのです。

本当に愛せるようになったときには、(先ほども伝えたように)相手の思いを尊重するので、無理に相手を振り向かせたいとは思わなくなります。そうすると、心の苦しさも和らぎ、「愛されたくて頑張る」なんてこともしなくなるでしょう。

結局、「愛されたくて頑張り過ぎる」というのは、本当の意味で、自分のことも相手のことも大切にできていない状態です。

自分自身に対しても、相手に対しても、本当の意味で愛情を注げるようになりたいものですね。

 

 

 

 

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